

「食品安全文化」の醸成に取り組んでいるけど、現状をどうやって評価すればいいのかな?
最近では、法令やガイドライン、さらには民間認証の要求事項にも「食品安全文化」の考え方が盛り込まれるようになってきました。
その影響もあり、多くの食品事業者の方が「食品安全文化の醸成」に取り組んでいるのではないでしょうか。
このブログでも「食品安全文化」について何度も取り上げてきましたが、読者の皆さんからよくいただくのが次のような声です。
「食品安全文化に取り組んでいるけど、今の状況をどうやって評価すればいいのかわからない」



確かに現状を把握できなければ、今の取組をそのまま続けるべきなのか、それとも改善が必要なのか、判断できないですね。


そこで今回は、「食品安全文化の現状をどう評価するか」に焦点を当てて、具体的な考え方や方法について紹介したいと思います。
下の記事を事前に読んでいただけると、この記事の内容の理解がより深まります。


食品安全文化の評価はなぜ難しいのか
まず押さえておきたい前提があります。
それは、「食品安全文化の評価は簡単ではない」ということです。
チェックリストや数値だけでは見えない「文化」の本質を捉えるには、人の根底にある行動や意識に目を向ける必要があります。



ここでは、ある現場の一例として「サマンサの物語」を通して考えてみましょう。
サマンサは、鶏肉加工施設で働く食品取扱者です。
彼女の主な業務は、鶏肉の切り落とし部分をトリミングすること。1日10時間の立ち仕事で、午前と午後に15分ずつの休憩、昼食に30分の休憩があります。1回の勤務で扱う鶏肉は約7,000個にも及びます。
通勤は公共交通機関を使って片道約1時間。バス停までの徒歩も含めると、毎日約2時間を通勤に費やしています。
ある日の勤務後、サマンサは更衣室へ急いで向かう途中、隣接する加工エリアの排水溝から強烈な臭いがすることに気づきました。
その場所は彼女の担当区域ではなく、監視カメラも設置されていません。仮に何も行動を起こさなくても、誰にも知られることはなく、責任を問われることもありません。
このような状況でサマンサはどうするでしょうか?
Lues JFR, Visser M. Will Sam report the drain? Food safety culture perspectives and considerations for continuous improvement.(S Afr J Sci. 2025;121(7/8))を筆者が一部改変





食品安全文化の理想的な行動としては、「念のため上司に報告する」が“正解”かもしれません。しかし、現実はそう単純ではありません。
サマンサは日々の業務や長時間の通勤で疲れています。
そのため、異臭に気づいた瞬間サマンサが、食品安全の基準や製品への影響、組織の業績や評判について考える可能性は低いでしょう。
むしろ、彼女の頭に浮かぶのは「関わることで面倒なことに巻き込まれるかもしれない」であったり、個人的な問題、例えば「疲労感」、「バスが時間通りに動いているか」「今月の生活費をどうやってやりくりするか」「家族の健康や幸せ」などについて考えを巡らせるかもしれません。
このように、人の行動は「その人の思考」によって決まります。
つまり、職場での行動を左右するのは、単なるルールや基準ではなく、「所属意識」「責任感」「尊重」「信頼」「忠誠心」といった、目に見えない主観的な要素です。
だからこそ、食品安全文化を評価するには、「従業員の根底にある信念」に目を向ける必要があります。
しかし、残念ながら単純なチェックリストで食品安全文化を評価しただけでは、サマンサがその場で「上司に報告する」とい上司にを選ぶかどうかは分かりません。



食品安全文化の評価は、こうした「見えにくい部分」をどう捉えるかにかかっています。
食品安全文化を評価するには
2021年から継続して、FDAと消費者団体「Stop Foodborne Illness」による食品安全文化に関するウェビナーが開催されています。
毎回、産官学の専門家が集まり、さまざまな視点から食品安全文化について議論を交わしています。
第7回ウェビナー(2023年5月11日開催)では、まさに「食品安全文化の評価」がテーマとして取り上げられました。
今回はその内容をもとに、文化の“見えにくさ”にどう向き合うかを考えてみましょう。
何を評価するのか
食品安全文化は、従業員の根底にある信念に根ざしています。
そのため、単純な数値だけで把握するのは難しく、複数の視点から立体的に評価する必要があります。
ウェビナーでは具体的な評価指標として「定量的なデータ(数値で測れるもの)」と「定性的なデータ(意見や感情、行動に関するもの)」が紹介されていました。
- 定量的なデータ(数値で測れるもの)
- 例:監査結果、環境モニタリングの実施状況、顧客からの苦情件数などのKPI(重要業績評価指標)など
- 定性的なデータ(意見や感情、行動に関するもの)
- 例:現場の観察、フォーカスグループ※での意見収集、現場ウォーク※など
※フォーカスグループ:少人数の人たちに対し、座談会形式でインタビューを実施する方法。その様子を、進行役(モデレーター)がうまくまとめながら、参加者の考えや感じていることを聞き出す。
※現場ウォーク:工場や厨房、オフィスなどを、上司やマネジメント層が歩きながら確認し、働いている人たちの様子を見たり、話を聞いたりすることで、潜在的な危険や改善点を見つけ出す活動です。
これらのデータは社内だけでなく、社外からも得られます。
たとえば、ウェビナーに参加した「TreeHouse Foods」や「マクドナルド」では、顧客からの苦情・問い合わせ、第三者機関によるレビュー、SNSでの反応などの外部の指標も活用しています。



こうした多様な指標を組み合わせることで、組織の食品安全文化をより立体的に、正確に把握することができるのですね。



重要なのは、食品安全文化の評価に「万能な指標」は存在しないということです。組織の規模や成熟度によって、使うべきデータやツールは変わってきます。
食品安全文化が未熟な「React to(受け身)」な段階にある組織では、監査結果、作業完了や確認の記録、訓練履歴やコンプライアンスに関するデータなどが、改善のために特に有効になります。
一方で、より成熟した「Predict(予見する)」な段階にある組織では、リスク分析のレビュー、ホライズンスキャニング(将来の食品リスクを早めに見つけて、備えるための情報収集活動)、品質不良にかかるコストなどの指標が、より有益になります。


どうやって評価するのか?
評価方法は、組織の規模、予算、従業員構成などによってさまざまです。
以下は、食品安全文化を評価するための手法の例になります。



重要なのは、これらのデータや手法を組み合わせて分析することで、現在の食品安全文化の状態をより深く理解することができるという点です。
手法・方法 | 説明 | 利点 | 欠点 |
---|---|---|---|
アンケート調査(社内・社外) | 従業員に対して一連の質問を行い、彼らの認識・態度・行動を把握する 社内チームまたは外部機関が実施 | 大規模なデータ収集と分析が可能 数値データとして集計・比較しやすい 社内チームは組織の事情に精通している 社外チームは客観性と独立性を持っている 社外チームは専門性が高く、第三者としての信頼性がある 回答者の匿名性を確保できる 広範囲の地理的エリアをカバーできる フォーマットが比較的シンプルで分かりやすい | 回答にバイアスがかかる可能性 回答が一時的な状況(直近の出来事)に左右される 定型化された質問では、文化の複雑さを十分に捉えられない 社内チームには時間・リソース・手法に限界がある 社内チームには専門性や客観性が不足している場合がある 社外チームの調査は、高額になる可能性がある 社外チームは組織の内部事情を十分に理解していない可能性がある 少人数や特定グループの結果を、組織全体に一般化するのは難しい |
フォーカスグループ | 少人数のグループまたは個人に対して実施される対話型の調査手法 食品安全文化について深く掘り下げて話し合うことを目的としており、自由回答形式の質問を用いることで、参加者の経験・認識・意見を引き出す なぜ人々がそのように感じ、考えるのかについて、その背景や理由を理解するための洞察が得られる | 深い対話を通じて、文化の微妙なニュアンスを含む質的データが得られる 専門用語や複雑な概念について、理解を深めるための説明が可能 非言語的な反応(表情・態度・沈黙など)からも情報を得られる 態度や行動に影響を与える背景要因を詳しく探ることができる 経験を共有する中で、改善のためのアイデアや提案が自然に出てくることがある 特定の意見がなぜ生まれるのか、その理由や背景をより深く理解できる | 実施には時間・リソース・専門的なファシリテーターが必要 少人数や個人の意見を、組織全体に一般化するのが難しい 質的データの分析には主観が入りやすく、時間もかかる 調査結果の一貫性(内部整合性)を示すのが難しい 進行役(モデレーター)の影響を受けやすい 発言が少ない人や内向的な人の意見が拾われにくい 自信のない参加者が、自信のある人の意見に同調しがち |
観察 | 従業員の食品安全に関する行動や作業手順を、直接目で見て確認する 実施者は、食品安全担当者、訓練を受けた監査員、または現場のチームリーダーや監督者などが担当する たとえば、現場ウォーク(現場を歩いて状況を把握する活動)などを通じて、日常の業務の中で自然な行動を観察する | 日常業務の実態を直接把握できる その場での指導や改善が可能になり、リスク低減が必要な重点領域も特定できる アンケートなどの定量データを補完し、文化の全体像をより立体的に捉えられる | 実施には時間・人員・専門的なスキルが必要 時間的制約により、同時に多くの観察ができず、評価が限定的になる可能性がある 観察されていることに気づくと、従業員が普段と違う行動を取る可能性がある |
食品安全マネジメントシステム(FSMS)と重要業績評価指標(KPI) | FSMSは、食品の安全性と品質を確保するためのベストプラクティスを体系的にまとめた包括的な枠組 KPIは、FSMSの中で特定の活動や成果を数値で追跡・評価するための指標(KPIの例:従業員の訓練完了率、食品安全事故の件数、現場でのルール遵守状況) | 定量的な測定が可能で、客観的な分析や比較に役立つ 継続的なモニタリングにより、傾向の把握や課題の早期発見、迅速な是正措置が可能 数値データがあることで、目標設定や責任の明確化に役立つ 組織全体の指標(例:リーダーシップの関与、社内コミュニケーションなど)も取り入れられる 他の評価手法(例:観察)と組み合わせることで、定量化が難しい行動も“見える化”できる | 文化の複雑さに関する質的な情報を捉えにくい 食品安全文化に影響する根底にある態度や行動を見落とす恐れがある コンプライアンスや基準の達成に偏り、文化全体の醸成にはつながりにくいことがある 定期的なデータ収集には時間・人材・コストなどのリソースが必要 |
記録の分析 | 日常的に蓄積される定量的・定性的なデータ(例:ヒヤリ・ハットの報告、清掃・衛生管理の記録、教育訓練の履歴) さらに、消費者からの申し立てや苦情、監査結果なども、食品安全文化を評価するための補足的な指標として活用できる | 継続的なモニタリングにより、傾向の把握や課題の発見、迅速な是正対応が可能 定量データがあることで、目標設定や責任の明確化に役立ち、組織の食品安全文化を反映できる 法令や規制への対応において、記録は不可欠な要素となる 記録を通じて、背景の意味や状況を読み解き、理解を深めることができる 低コスト | 文化の複雑さに関する質的な情報を捉えにくい 基本的に“事後対応型”であり、予防的な視点が弱い 記録が不完全または不正確な場合、重要な兆候を見逃したり、誤った判断につながる可能性がある コンプライアンスや規制遵守に偏りがちで、食品安全文化全体の醸成にはつながりにくい 他者によって保存・管理された記録に依存するため、評価の信頼性が記録の整備状況に左右される |
評価は「行動」につなげてこそ意味がある
時間と労力をかけてデータを収集・分析したら、次にすべきは「行動」へつなげることです。
評価結果をもとに、現在の食品安全文化の「強み」と「改善の余地がある部分」を見極めます。「強み」は維持・強化し、「改善点」には具体的に取り組む必要があります。



たとえ評価結果が“失敗”を示していても、それが行動につながるなら、非常に価値ある情報になります。
ウェビナーに参加していた「TreeHouse Foods」では、課題が見つかった際に「根本原因分析(Root Cause Analysis)」を活用し、問題の本質を特定しているそうです。
忘れてはいけないのは、評価結果の議論に部門や職位を超えたメンバーを巻き込むことです。これにより改善への組織的な支援が得られやすくなります。
また、評価に協力した従業員には、結果と改善計画をしっかり共有しましょう。自分たちの声が組織の改善に活かされていると実感できれば、次回以降のアンケートや評価へも前向きに参加してもらえるはずです。


第三者認証での監査は食品安全文化をどこまで評価できるのか



民間の第三者認証でも食品安全文化が要求事項に追加されています。監査で食品安全文化を正しく評価することはできるのでしょうか?
近年、食品安全文化は法令や第三者認証制度の要求事項にも組み込まれるようになり、食品安全文化の醸成が求められています。
しかし、こうした制度の中で行われる「監査」によって、食品安全文化を本当に評価できるのでしょうか?



この点には、いくつかの課題が指摘されています。
①時間的な制約:監査は“瞬間のスナップショット”
監査は、限られた時間内で施設の一部を確認する「断片的な観察」にすぎません。
一方、食品安全文化とは、従業員の信念・行動・価値観が組織全体に浸透していく、長期的かつ動的なプロセスです。
そのため、チェックリストや短時間の監査だけでは、文化の全体像を捉えることは困難です。
②多層的な構造:文化は“見えない層”にこそ宿る
食品安全文化は、以下のような複数の層で構成されています:
Artifacts(人工物):見えるもの
最も表面的な文化は「人工物」で、食品安全の目に見える部分です。例えば、食品安全についての会社の方針、ポスター、服装のルール、マニュアル、様々なデータなどです。
Espoused values(重視される価値観):話す・聞くこと
文化をもう少し掘り下げると、「重視される価値観」があります。これには、食品安全の重要性を明言することや、リーダーによるプレゼンテーション、通常のコミュニケーションなどが含まれます。
Underlying beliefs(根本にある信念):感じること
そして、文化の最も深い層にあるのが「従業員の根底にある信念」です。従業員が「食品安全についてどう考えているか」を理解することは難しいです。しかし、組織の食品安全文化を理解するためには必要不可欠なものです。


文化の表層(上の図の「Artifacts」)は見ることができ、変化しやすいです。一方、深い層になればなるほど見えにくく、変化しにくくなります。
3つの層のうち、1つの層だけで「文化」になるわけではありません。強固な食品安全文化を醸成するためには、これら3つの層がすべて連携する必要があります。
そして、従来の監査ツール(文書の確認やチェックリストなど)は、表面的な層にはアプローチできますが、最も深い「信念」の層には届きません。
この層を評価するには、観察、対話、行動分析など、複数の手法を組み合わせる必要があります。
③チェックリスト化のリスク:文化が“静的な項目”に矮小化される
制度や基準に組み込まれ、食品安全文化が「コンプライアンスの達成項目」として扱われるようになると、本来の“動的な成長プロセス”が見えにくくなります。
つまり、「文化を育てる」ことよりも、「文化をチェックする」ことが目的化されてしまう恐れがあります。



単にコンプライアンスをゴールとした、標準化されたチェックリストで評価される、静的な要素に矮小化される恐れがあります。
もちろん、食品安全マネジメントシステムが食品安全文化を育む土台となることもあります。逆に、強い食品安全文化が食品安全マネジメントシステムの実効性を高めることもあります。
ただし、食品安全文化を制度化しすぎると、形骸化してしまい、従業員の行動変容が起こりにくくなる可能性があります。



食品安全文化は、チェックリストで確認するだけでは不十分です。それは、時間をかけて育てていく“生きた文化”であり、従業員一人ひとりの意識と行動に根ざしたものだからです。
そのため、規格や監査は、あくまで「補助的なツール」であり、文化そのものを代替するものではないことを心に留めておく必要があります。
おわりに
以上が「食品安全文化の評価」の紹介でした。



食品衛生文化は多角的に評価する必要があること、そして評価しただけで終わらず、そこから「行動」につなげることが重要だということが分かりました。
評価に使う指標や手法は、組織の規模や成熟度によって異なります。
それでも、すべての組織に共通する最終的な目標は「現在の文化を深く理解し、未来に向けてより強く、前向きで、成熟した文化を育てていくこと」です。
そのためには、まず「正しく評価すること」が欠かせません。
もし評価の方法に迷ったときは、ぜひ「サマンサの物語」を思い出してみてください。
自分の組織に置き換えてみることで、従業員の行動や意識の“根っこ”をどう捉えるか、ヒントが見えてくるはずです。



監査や制度は、その成長を支える「土壌」にはなり得ます。しかし、文化の“芽”を育てるのは、日々の対話、信頼、そして現場での実践です。
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