

食品衛生責任者の講習会を受けてきたけど、内容が一般的で、自分の施設で具体的に何をやらなければならないのか、よくわからなかったな。
日本で飲食店や食品製造業をするためには「食品衛生責任者」を設置することが法律で義務付けられています。
医師、歯科医師、調理師、栄養士などの資格を持っている人は、そのまま食品衛生責任者になることができますが、それ以外の人でも1日(6時間)の講習を受ければ誰でも食品衛生責任者になることができます。


しかし、この「食品衛生責任者になるための講習」は、業種や規模に関係なく、全国一律の内容になっています。
たとえば以下の施設を考えてみて下さい。
- 従業員1,000人以上を抱え、全国に惣菜を供給する大規模な製造工場
- 店主1人で運営する町の青果店
これら2つの施設は衛生管理のレベルが全く異なります。
にもかかわらず、日本の制度では、両者が同じ内容の講習を受け、同じ「食品衛生責任者」という肩書きを得ます。


このように日本の食品衛生責任者制度では、規模や業態といったリスクの違いが考慮されていません。



これでは、大規模施設では知識が足りず、個人経営の施設では「うちには関係ない」と感じるような、現場とのズレが生じてしまいますね。



これは、車の運転免許に例えると分かりやすいかもしれません。普通車、大型車、バイクでは必要な技術もリスクも違うため、それぞれに対応した免許制度があります。しかし、食品衛生責任者制度では、全てを「普通免許」で済ませてしまっているような状態です。
このように、日本の食品衛生責任者制度はリスクの重さに応じた制度設計が不十分と言えます。
一方、アメリカでは食品衛生に関する資格として
- Preventive Controls Qualified Individual(PCQI)
- Certified Food Protection Manager
- Food Handler Card
などがあり、これらは対象とする業務や責任の範囲が明確に分かれていて、教育内容もリスクに応じて設計されています。
そこでこの記事では、アメリカの制度を紹介しながら、日本の食品衛生責任者制度の課題について考えてみたいと思います。
アメリカと日本の食品安全の資格制度についてよく知らない方は、まず下の記事を読んでいただくと理解が深まります。


アメリカの3つの資格
アメリカの3つの資格の概要は以下のようになっています。
項目 | Preventive Controls Qualified Individual | Certified Food Protection Manager | Food Handler Card |
主な対象 | 食品製造・加工施設の品質管理責任者 | 飲食店・小売店などの店長・監督者 | 食品を扱う現場の一般従業員 |
求められる知識 | 高度:食品安全計画の策定、実施、管理 | 中程度:Food Codeに基づいた実践的な衛生管理 | 基本的:手洗い、温度管理、交差汚染防止など |
取得にかかる時間 | 長い:3日間(約22時間)の集中講習 | 中程度:1日(約8時間程度)の講習+厳格な試験 | 短い:1〜3時間のオンライン講習+簡単な試験 |
費用(目安) | 高額:$800〜1,000 | 中程度:$100〜200 | 低額:$10〜45程度 |
1. Preventive Controls Qualified Individual(PCQI)
PCQIは、食品製造・加工施設の食品安全の根幹を担う資格です。
- 対象:FDAの米国食品安全強化法(FSMA)の規制を受ける食品製造・加工施設
- 主な役割: 「食品安全計画(food safety plan)」の策定と管理。具体的には、微生物や異物などの危害要因分析を行い、それを防ぐための予防的管理策(Preventive Controls)を設計し、その実施を監督する。
- 求められるレベル: 最も高度な知識が求められ、3日間(約22時間)の集中トレーニングを全時間修了することが認定要件となる。特定の試験による合否判定ではなく、講習内のワークショップや演習を通じて「プロセス全体の習得」に重点が置かれている。
※PCQIは実は講習を受けなくても、十分な知識と実務経験を持っていることを証明できれば資格は必要ありません。ただし、トレーニング受講が推奨されるケースがほとんどです。


2. Certified Food Protection Manager
この資格は、日本の食品衛生責任者の役割に最も近く、現場のマネジメントを担います。
- 対象: 州や郡の地方自治体が管轄する施設(飲食店、病院、学校、小売店など)の監督者。多くの自治体で施設への常駐が義務付けられている。
- 主な役割: 従業員を監督し、日常的な食品の取り扱い、温度管理、衛生管理が正しく行われるように徹底させる。
- 求められるレベル: 現場の管理者レベルの実践的な知識(Food Codeの内容)が中心。1日(約8時間)の講習後、厳格な多肢選択式試験に合格することが必須。



Certified Food Protection Managerの詳細については、こちらの記事もご覧ください。


3. Food Handler Card
食品を直接扱う一般従業員を対象とした、最も基礎的な資格です。
- 対象: 調理人、サーバー、食器洗浄係など、食品や食品が触れる面に直接触れる現場の一般従業員。取得が義務付けられている地域が多くある。
- 主な役割: 個人の衛生管理、手洗い、温度管理、交差汚染の防止など、基本的な食品安全の実務を確実に行う。
- 求められるレベル: 1〜3時間程度のオンライン講習またはビデオ視聴で、費用も安価。最後に簡単なテストがあるが、不合格でも再受験が容易な場合が多く、基本的な知識の定着を目的としている。
※Food Handler Cardは自治体によって「Food handler permit」や「Food Worker Card」などとも呼ばれています。


このように、アメリカでは食品安全の責任と役割が明確に分かれており、それに応じて教育のレベル、取得難易度、費用が異なります。
日本の制度は、全ての施設に一律の知識を求めることで「最低限の知識の定着」を目指していますが、結果としてリスクの大きな施設には知識が不足し、リスクの小さな施設には過剰に感じられるという問題(現場で活かせない)を生み出しています。



アメリカの「リスクベース」の制度設計は、日本で今後の食品安全教育を考える上で、参考になりそうですね。
知識が増える≠正しい行動をする



上記の他にも、私がアメリカと日本の資格の講習をすべて受講して感じた日本の課題があります。
食品衛生責任者の講習会だけでなく、保健所が行う講習会、業界団体が行う講習会など、多くの講習会が日々行われ、大勢の人が食品安全について学んでいます。
それでも依然として数多く食中毒が起きており、その大部分は食品取扱者による「防げたはずのミス」が原因です。



食品安全について学んでいるのに、どうしてでしょうか?
日本で行われている講習会の多くは、受講者に「知識」を与えることを目的としています。



これは「講習を受ければ、知識が増え、それに伴ってより適切な行動がとれるようになる」と信じられているためです。
この考え方は「KAP理論」と呼ばれ、Kは Knowledge(知識)、Aは Attitude(態度)、Pは Practice(実践)の略です。
KAP理論では、知識が増えれば、それが態度を変え、最終的に適切な行動(実践)に繋がると考えられています。


しかし、教育訓練と行動の関係はそれほど単純ではありません。



多くの研究で、教育によって受講者の「知識が増える」ことは確かめられています。一方で「知識があっても行動に結びつかない」ことも多くの研究で示されています。
知識の増加が、必ずしも現場での正しい行動に直結するわけではない。これが、現在の日本の講習会が抱える最大の課題です。
行動ベースの考え方を取り入れる



それでは、どのような講習会が「従業員の行動」を変えるのに効果的なのでしょうか。



ここで従業員教育に関して行われた研究を1つ紹介します。
この研究では88人の参加者に対し、適切な手洗い方法について「知識ベースの研修」と「行動ベースの研修」を行いました。
- 知識ベースの研修:従業員にオンライン動画を見てもらい、その後小テストを実施。
- 行動ベース(行動を変えるように動機づけを行う)の研修:手洗いの石鹸ディスペンサーに手をかざすと、石鹸とともに18秒間音楽が再生される装置を導入。また、毎週10分間の手洗いミーティングを実施。ミーティングでは、従業員の手洗い実施状況へのフィードバック、優秀者への金銭的報酬($4のコーヒーギフトカード券)、目標設定を実施。
結果は、「知識ベースの研修」に加えて「行動ベースの研修」を行った方が、大幅に手洗い行動に改善が見られました。
研修段階 | 手洗いの頻度(1シフトあたり) |
研修前(ベースライン) | 56回 |
知識ベース研修後 | 71回 |
行動ベース研修後 | 103回 |
手洗いの頻度に加え、行動ベースの研修後では、手洗い時間の増加、適切な手洗い(濡らす、手首を洗う、指と親指を洗う)の実施率の増加がみられました。


また、音が鳴る石鹸ディスペンサーとミーティングを一時的に中止する期間を設けた後も、手洗い頻度はベースラインよりも依然として高い水準にあり、「行動ベースの研修」が持続的な効果をもたらす可能性が示されました。
しかし、「知識ベースの研修」だけでは持続的な効果は見られず、特に忙しい時間帯には手洗い頻度が改善されませんでした。
この結果から、「知識ベースの研修」でも一時的に手洗い行動の改善がありますが、忙しい時間帯には不十分であること、そして「行動ベースの研修」と組み合わせることで、長期間にわたり行動が変化することが分かりました。



「行動ベースの研修」が効果的なのは分かりましたが、ここで紹介されたような取り組みを外部の講習会で行うのは難しいですよね。



確かにそのとおりです。しかし、講師が「知識の増加≠正しい行動」でないことを意識して講習を行うだけでもだいぶ違います。
- 「なぜやるのか」に焦点を当てる: 知識だけでなく、適切な衛生管理が不可欠な理由(顧客の安全、施設の信用など)に重きを置いて説明し、行動の重要性を感情面にも訴えかけます。
- 身近な事例で議論する: その地域や同じ業界で実際に起こった事故事例について議論し、自分事として捉えさせることで、食品取扱者の態度や行動をより強く動機づけます。
これらの内容については過去の記事でも紹介していますので、ご覧ください。




帰ってからが本番:組織の影響
このように講習会で得た知識を実際の行動に移すには「行動ベースの研修」が重要だと分かりました。
そして、従業員が実際に現場で学んだことを実践するためには、職場の環境が重要になります。



ここでカギとなるのが「食品安全文化」です。
なぜなら従業員が学んだことを実践する際に「職場文化」、「リーダーシップ」、「コミュニケーション」、「作業環境」といった組織的な要因が大きく影響するためです。



確かに、手洗い設備が近くになかったり、手洗いより効率を優先する職場では、従業員が行動を変えるモチベーションがなくなってしまいますね。
だからこそ、経営者や責任者は、単に従業員に知識をつけさせるだけでなく、前向きで積極的な組織文化を育てる必要があります。
ただし、食品安全文化はすべての問題を解決できる「特効薬」ではありません。食品安全文化はあくまでも「すべてをまとめ上げる接着剤」のような存在として理解する必要があります。
おわりに
以上が食品安全に関する資格制度の紹介です。



食品安全教育の真の目的は、「講習会に参加すること」や「資格を取ること」で終わるのではなく、学んだ知識を現場での「習慣的な行動」に結びつけることです。
そのために最も効果的なのは、知識の提供と行動の動機づけの両面にアプローチした教育訓練です。
そして、その行動が一時的なものでなく、継続的な実践となるかどうかは、組織全体に根付く「食品安全文化」の力が大きく影響します。
食品安全を確実なものにするためには、「人」の教育と「組織」の環境整備の両輪が不可欠だということを忘れないようにしましょう。
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