

また食物アレルギー事故があったというニュースを見たよ。HACCPが義務化されても「アレルギーの事故」は無くならないのですね。
「確認不足による誤提供」や「表示の貼り間違いによるアレルギー表示の欠如」など、いまだに多くの食物アレルギー事故が繰り返し発生しています。
しかし重要なのは、これらの事故が必ずしも「ずさんな管理の施設」で起きているわけではないという点です。



実際には、法令を遵守している、従業員教育も実施している施設でもアレルゲン事故は発生しています。
日本では HACCP が義務化されましたが、実は「アレルギー対策」はHACCPが得意とする分野ではありません。
HACCPは本来、「生物的ハザード」(病原菌の増殖など)、「化学的ハザード」(残留農薬など)、「物理的ハザード」(金属片混入など)を、工程管理によってコントロールする仕組みです。
一方、現在起きているアレルゲン事故の多くは工程管理の失敗というよりも、
- 原材料の表示ミス
- レシピ変更情報の未共有
- 従業員による誤った説明
- ラベルの貼り間違い
- 交差接触に対する認識不足
といった、「コミュニケーションや情報伝達の失敗」によって起きています。


つまり、単にHACCPをきちんと行い「法令順守」しているだけや、「従業員教育」を行っているだけでは、アレルギー事故を防ぐには十分ではないのです。
そこでこの記事では、英国で発生した2つの食物アレルゲン事故を取りあげます。
事例を通して、「なぜ法令順守と教育だけでは防げなかったのか」、そして「自分たちの施設では、どこを見直すべきなのか」を考えていただければと思います。
事件1:2016年 英国 ナターシャの事故
2016年7月17日、当時15歳だったナターシャは父親と親友とともに、英国ロンドンのヒースロー空港からフランスへ旅行に向かう予定でした。



ナターシャは重度のゴマアレルギーを持っていましたが、普段から食品表示を慎重に確認し、自分の身を守ってきた少女でした。
出発前、空港内にあった「Pret A Manger」で、包装された製品である「アーティチョーク、オリーブ、タプナードのバゲット」を購入しました。
このとき、ナターシャは店員にアレルゲンの確認をしませんでした。





Pret A Mangerは、英国発の大手カフェチェーンで、サンドイッチやサラダを店内のキッチンで手作りして販売スタイルを取っています。


飛行機が離陸して間もなく、ナターシャは重度のアレルギー反応(アナフィラキシー)を発症しました。
呼吸困難、意識障害など、症状は急速に悪化。父親は携帯していた2本のエピペンを直ちに使用しましたが、症状は改善しませんでした。
機内で複数回の心停止を起こし、その後フランスの病院で帰らぬ人となりました。
なぜ事故は起きたのか
当時の英国の制度では、工場で製造・包装された食品にはアレルゲン表示が義務付けられていました。
一方、店内で製造し、包装された食品には、アレルゲンの表示義務はありませんでした。
ゴマは表示義務のあるアレルゲンでしたが、ナターシャが購入したバゲットは「店内製造・店内包装」に該当したため、表示義務がなかったのです。
さらに、ゴマはパン生地に焼き込まれており、外見から判別することはできませんでした。
そのためナターシャは、購入したバゲットが包装されており、表示に「ゴマ」の記載がないこと、見た目でゴマが確認できないことから安心し、店員にアレルゲン情報を確認することなく購入したと考えられています。
「違法ではなかった」事故
当時の制度上、店内で製造・包装された食品には表示義務がなかったため、Pret A Mangerに法令違反は認められませんでした。



つまり、「違法ではなかったけれど、命は失われた」ということですね。
法違反での処罰はされませんでしたが、事故後、Pret A Mangerの「情報提供の在り方」や「対応の遅さ」に多くの批判が起きました。
そして、この事件を直接の契機として、2021年10月、英国では「Natasha’s Law(ナターシャ法)」が施行されます。
この法律により、店内で製造・包装される食品についても、全原材料とアレルゲン表示が義務化されました。
この法律により、食品アレルギーを持つ消費者は、購入前により確実な情報を得られるようになりました。
事件2:2017年 英国 イゾベルの事故
ナターシャの事故の翌年、2017年11月。英国バースにあるPret A Mangerの店舗で、学生のイゾベルがサンドイッチを購入しました。
商品は「カレー風味のひよこ豆とマンゴーチャツネのサンドイッチ」でした。


当時、この商品には詳細な原材料表示はなく、包装には「アレルギーがある場合はスタッフにお尋ねください。」と書かれていました。



ナターシャの事故から1年経っており、企業としてもアレルゲン情報の提供方法を少し改めたのですね。
イゾベルはゴマアレルギーを持っていました。そのため、購入時に店員に「ゴマは入っていますか?」と確認しました。
Pret A Mangerではアレルゲンについて確認された場合、正式な手順では店員は必ず「アレルゲンガイド」を確認することになっていました。アレルゲンガイドは、本社が作成した正式な「原材料及びアレルゲンの一覧」です。
しかし、この時店員は商品が入っていた冷蔵庫に付けられたラベルだけを見て、「ゴマは入っていません。」と答えました。


冷蔵庫のラベルには「商品名」や「日付」、「ロット情報」は記載されていましたが、完全なアレルゲン情報は記載されていませんでした。
その後、サンドイッチを数口食べたところ、イゾベルは喉のかゆみを感じました。
症状が急速に悪化したため、抗ヒスタミン薬を服用しましたが改善せず、救急搬送されました。
アナフィラキシーを発症し、一時意識を失いましたが、病院で治療により回復しました。
なぜ事故は起きたのか
この事故を受け、当局はPret A Mangerを起訴しました。
裁判で明らかになった事実は次の通りです。
- Pret A Mangerにはアレルゲン管理ポリシーやマニュアルが存在していた
- 従業員向けにアレルゲン対応に関する研修も実施していた
- 店舗には「アレルゲンガイド」が備えられていた
- 商品の包装には「アレルギーがある場合はスタッフに尋ねてください」という表示があった
裁判では、「従業員が手順どおりにアレルゲンガイドを確認しなかったこと。その結果、誤った情報を提供したこと」は認定されました。
しかし同時に、企業として「合理的な注意義務を尽くしていた」と裁判所は判断し、Pret A Mangerに無罪評決を下しました。
この裁判を受けて、Pret A Mangerは2019年に全商品の原材料ラベル表示を導入するなど、アレルギー対応の強化策を公表しました。



この事故で問題だったのは「教育がなかったこと」ではなく、教育や仕組みが実際の行動に結びついていなかったことです。



企業としてマニュアル、研修、仕組みはあったとしても、現場で正しい行動がとられなければ事故は起きるということですね。
この事件から見えてくる課題
この2つの事例から、重要な課題が浮かび上がります。
- コンプライアンス(制度整備)だけでは不十分
- 知識を伝えるだけでは、アレルギー事故は防げない
それぞれを詳しく見ていきましょう。
コンプライアンス(制度整備)だけでは不十分
ナターシャの事故では、当時の法制度上、 Pret A Manger に違法性は認められませんでした。
しかし、事故前の1年間で同社では21件のアレルゲン事故が発生していました。
- 21件のうち9件がゴマ関連
- そのうち6件は、ナターシャが購入したものと同タイプのバゲット



同バケットは「乳製品不使用」や「グルテンフリー」といった表示は書かれていました。しかし、アレルゲンが書かれていなかったため、消費者が誤認しやすい状況だったようです。
さらに、ナターシャの死の9か月前には、17歳の少女が生地に練り込まれたゴマにより重篤な症状を発症しました。
その少女の母親は、
「原材料表示がないことで、今後も深刻な事故が起こりうる。」
と Pret A Manger に対し警告していました。
しかし同社は「掲示や表示は適切」と判断し、掲示を多少強化するにとどめました。
そして結果としてナターシャの事故は発生しました。
法廷では遺族側が「繰り返し指摘されていたリスクに十分対応しなかったのではないか」と追及しましたが、企業側は
「最大のリスクは、誤った表示を貼ってしまうリスクです。表示を貼り間違えるたびに、アレルゲンについて(顧客に)明確な誤解を与えてしまうことになります。」
と述べました。
確かに、誤表示は重大なリスクです。
誤った表示は、消費者に「安全である」という明確な誤認を与えてしまいます。これは企業にとっても極めて深刻な問題です。



しかし、ここで考えるべきなのは「誤表示か、無表示か」という二者択一ではありません。
食品安全文化が根付いた組織であれば、
- 繰り返し発生しているゴマ事故への対策として、販売方法や表示方法の抜本的見直し
- 誤表示を防ぐ仕組みの強化
この両方を同時に進めるはずです。
「誤表示が怖いから表示をしない」という発想は、リスクを減らしているようで、実際には別のリスクを放置している可能性があります。
本来問われるべきだったのは、
- なぜゴマ関連事故が集中しているのか
- なぜ同タイプ商品で繰り返し起きているのか
- なぜ顧客からの警告がリスク再評価につながらなかったのか
という根本原因を解決しない組織の意思決定プロセスです。
食品安全文化が成熟した施設では、ヒヤリハットや顧客からの警告は「防御すべき評判リスク」ではなく、「構造的な弱点を示す重要なシグナル」として扱われます。
もし21件の事故を「偶発的な個別事象」として処理するのではなく、「表示方針そのものを再検討すべきサイン」として受け止めていたら、ナターシャの事故は防げた可能性があります。



法令は最低基準を示しており、事故を防ぐのは「基準を満たしていること」ではなく、リスクの兆候を行動変化に結びつける組織の文化なのですね。
知識を伝えるだけでは、アレルギー事故は防げない
イゾベルの事例では、従業員研修が行われ、マニュアルも整備されていましたが、それでも事故は起きました。
多くの事業者の方が、「教育訓練の記録を残している」や「資格証を保管している」ことで、適切な教育訓練ができていると考えがちです。
もちろん「正しい行動」を取るために、「正しい知識」は必要条件です。しかし、多くの食品取扱者は「正しい行動を知っている」が、「実行していない」ことが研究で明らかになっています。
つまり「教育訓練の記録がある」ことと「現場で行動できる」ことは別物です。



それでは「行動できる教育訓練」は、どのようにすればいいのでしょうか?
ここでは、アレルギー対策に特化した「行動できる教育訓練」について考えてみましょう。
①判断場面を再現する
アレルギー事故は、「忙しい」「列ができている」「上司が不在」「マニュアルがすぐに見つからない」「クレームを避けたい」といったストレス環境下で起こりやすいことが知られています。



行動科学では、ストレスが高まると、人は「近道行動(ショートカット)の思考」を取ることが知られています。
そのため有効なのが、ストレス条件下におけるロールプレイです。
「従業員」と「客」で行うロールプレイの例
- 客が「ごまは入っていますか?急いでいるんですが」と質問する
- 客が「少量なら大丈夫ですよね?」と曖昧な質問を投げかける
- 30秒以内などの時間制限を設けた場合にどう対応するか
- 上司不在を想定
このようなプレッシャー条件下で従業員が
- 推測で答えない
- マニュアルを確認する
- 上司に確認する
- お客様に待ってもらう
という行動が自然に取れるようになるまで 演習 → フィードバック → 再演習を繰り返すことが重要です。
さらに「予告なしロールプレイ」などの抜き打ちシュミレーションを行うことで、形骸化を防ぐことができます。



評価を「知識テスト」ではなく「行動観察」で行うのですね。
②エラー学習
研究では、「失敗を議論できる組織ほど事故率が低い」ことが示されています。
そのため、他社事故の事例検討、自施設のヒヤリハットの共有などを通じて、「なぜ確認しなかったのか」「どこで判断を誤ったのか」「自分ならどうするか」などを議論することが有効です。
また、多くの人は「自分の店では起きない」という正常性バイアスを持っています。
そのため、事故は特別な施設で起きるのではなく、プロセスと会話の断絶でどこででも起きること、そして「なぜ必要か」、「自分の仕事とどう関係するか」を明確にイメージできるようにすることが重要です。


③管理者向け「食品安全文化」訓練
研究が一貫して示すのは、「現場の行動はリーダーの態度で決まる」という事実です。
管理者が「忙しいから大丈夫だろう」「それくらい自己判断で」と言えば、文化は崩れます。
逆に「確認してくれてありがとう」「販売停止は正しい判断だ」と言えば、文化は強化されます。
そのため「管理者自身が復唱・確認を実演」、「アレルギー対応を業績評価に組み込む」、「ミス報告を処罰しない方針の明文化」など、仕組みだけでなく「行動を支える環境」を作ることが重要です。
おわりに
ナターシャの事故は「違法ではない」中で起き、イゾベルの事故は「マニュアルも研修もある」中で起きました。
この2つの事例が示しているのは、法令順守や教育の“実施”だけでは安全は保証されないということです。
HACCPや制度整備は重要です。しかしそれは土台にすぎません。
事故を防ぐのは、リスクの兆候を行動に結びつける力、そして忙しい現場でも確認を徹底できる文化です。
食品安全の本当のゴールは、「記録があること」でも「監査に合格すること」でもありません。
現場で、一人ひとりが正しい判断を選び、正しい行動を取り、その行動が組織として支えられていること。それが実現してはじめて、アレルゲン事故は本当に減っていきます。



制度を整え、知識を伝え、そして行動を設計する。この三つをつなぐ視点こそが、これからのアレルゲン対策に求められていることだと思います。









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