日本では食品安全対策の効果を計る指標に「食中毒患者数」が使われるけど、海外でも同じなのかな?
日本では食品安全対策の効果を計る指標として、全国の保健所から報告された「食中毒患者数」や「食中毒発生件数」がよく使われます。
しかし、これらの数値は実態から大きくかけ離れているため、その国の食品安全対策の効果を計る指標として使用すると、誤った結論を導く恐れがあり危険です。(詳細は下記の記事をご覧ください。)
それでは海外ではどのような数値が使われているのでしょうか。
そこで、この記事ではアメリカにおける食品安全対策の効果を計る指標である「Healthy People 2030」を紹介します。
「Healthy People 2030」とは
「Healthy People」はアメリカ国民全体の健康を改善するためのロードマップのようなもので、アメリカ合衆国保健福祉省が1980年から10年ごとに発表しています。
最新版は2020年に発表された「Healthy People 2030」になります。
アメリカ合衆国保健福祉省はFDAやCDCを所管しており、日本の厚生労働省のような組織です。
アメリカ国民の「健康増進」と「病気の予防」のために様々な目標値が設定されており、Healthy People 2030 では、計測可能なCore objective(主目標)として358項目があります。
また、Core objective(主目標)の他にも、Developmental Objective(発展目標)という項目もあります。
Developmental Objective(発展目標)は、現状では十分なデータが不足しているものの、優先順位の高い公衆衛生の問題を表しています。
Developmental Objective(発展目標)は、今後の研究やデータ収集によって十分なエビデンスが蓄積されれば、将来Core objective(主目標)となる可能性を秘めた目標値なのですね。
次からは食品安全に関連する「Core objective(主目標)」と「Developmental Objective(発展目標)」を紹介します。
食品安全に関するCore objective(主目標)
それでは「食品安全」に関するCore objective(主目標)を見てみましょう。
- カンピロバクターによる感染症の減らす
- 腸管出血性大腸菌による感染症の減らす
- リステリアによる感染症を減らす
- サルモネラによる感染症を減らす
- 複数の薬剤に対する耐性を示す非チフス性サルモネラ感染症の割合の増加を防ぐ
- マクロライド系抗生物質耐性のカンピロバクター感染症の割合の増加を防ぐ
- 食品を調理する際に手や作業台表面をよく洗う人の割合を増やす
- 食品を調理する際にまな板の使い分けをする人の割合を増やす
- 食品を安全な温度で加熱する人の割合を増やす
- 調理後2時間以内に食品を冷蔵保存する人の割合を増やす
Healthy People 2030 では食品安全について10個のCore objectiveがあります。
①~④は具体的な菌の感染を防ぐ目標、⑤と⑥は薬剤耐性菌に対する目標となっており、⑦~⑩は食中毒全般を防ぐための食品の取り扱いについての目標です。
それでは具体的な指標を1つ見てみましょう。
「①カンピロバクターによる感染症の減らす」を紹介します。
最新のデータとして2022年があり、カンピロバクター感染者数が 17.2人(人口10万人あたり)です。
2030年までの目標は 10.9人で、ベースラインは2016-2018年の平均 16.2人となっています。
実はここには反映されていませんが、最新の2023年のデータでは感染者数が 19.3人 となっています。そのため、ベースラインから増加傾向にあると言えます。
この増加は実際の感染者数が増えているというよりは、医療機関でより簡便な検査法(CIDT)の利用が拡大し、それにより今まで見過ごされていた患者からも菌が検出されるようになったためと考えられています。
この指標には食中毒以外のカンピロバクター感染も含まれるのですか。
実はこの指標の「カンピロバクター感染症」は、食品を原因とする感染以外も含まれています。
ただし、カンピロバクター感染症の約80%は食品由来と考えられており、その割合が大きく変わることはありません。
そのため、カンピロバクター感染症を指標にしても、その推移から食品安全対策の効果を計ることは可能です。
また、「食中毒患者数」ではなく「感染者数」を用いることで、保健所の調査で食中毒と断定される必要がないため、より実態に近い数値となります。
上の図で言うとアメリカは⑤を、日本は⑦を指標としているイメージです。保健所の調査で食中毒と断定されるのは、多くのハードルがあり、ごくごく一部です。
食品安全に関するDevelopmental Objective(発展目標)
次にDevelopmental Objective(発展目標)を見てみましょう。
- 牛肉による腸管出血性大腸菌、カンピロバクター、リステリア、サルモネラ感染症の発生を減らす
- 乳製品による腸管出血性大腸菌、カンピロバクター、リステリア、サルモネラ感染症の発生を減らす
- 果物やナッツによる腸管出血性大腸菌、カンピロバクター、リステリア、サルモネラ感染症の発生を減らす
- 葉物野菜による腸管出血性大腸菌、カンピロバクター、リステリア、サルモネラ感染症の発生を減らす
- 鶏肉による腸管出血性大腸菌、カンピロバクター、リステリア、サルモネラ感染症の発生を減らす
- ノロウイルスの発生件数を減らす
- 緊急治療を必要とする食物アレルギー事故の数を減らす
- 従業員がきちんと手を洗うデリ※の割合を増やす
- 食品に触れる面を適切に洗浄・消毒するデリの割合を増やす
- 食品を安全な温度で冷蔵保存しているデリの割合を増やす
- 温かい食品を安全な温度に保っているデリの割合を増やす
※「デリ」はデリカテッセン(delicatessen)の略で、日本の「対面販売している惣菜店」のイメージです。デリで扱われる食品はハム、ソーセージ、サラミなどの「デリミート」のほか、チーズ、パン、オリーブ、サラダなども扱っています。デリでは仕入れたこれらの製品を、スライス、カット、小分けなどして小売販売します。
具体的な食品カテゴリーや業態が出てきて、Core objectiveより具体的ですね。
腸管出血性大腸菌、カンピロバクター、リステリア、サルモネラによる食中毒の多くが「牛肉、乳製品、果物やナッツ、葉物野菜、鶏肉」が原因となっています。
例えば、アメリカでは腸管出血性大腸菌の食中毒の85%以上が葉物野菜と牛肉が原因であると推定されています。
また、デリを原因とするリステリア食中毒は依然として多く発生しています。
このような公衆衛生上の課題を踏まえ、さらなるデータ収集が必要なため Developmental Objectives(発展目標)として設定されています。
目標に対して どのような対策が取られているのか
アメリカの食品安全の取組の多くが、先ほど紹介した目標を達成するために行われています。例えば、以下のようなものがあります。
- 鶏肉によるサルモネラ食中毒対策として、2024年4月に鶏肉加工製品の規制を強化することを発表(Core Objectiveの④、Developmental Objectiveの⑤)
- デリでのリステリア食中毒対策として、2023年6月にガイドラインが発表(Core Objectiveの③、Developmental Objectiveの⑧~⑪)
- ノロウイルス食中毒対策として、体調不良がある従業員の職場復帰のタイミングを判断するツールを2024年7月に発表(Developmental Objectiveの⑥)
Core objective(主目標)とDevelopmental Objective(発展目標)を見ることで、アメリカでどのような課題が重要視され、対策が取られているのかが分かるのですね。
日本の「食中毒患者数」の問題点
日本では食品安全対策の効果の指標として「食中毒患者数」がよく使われます。
平成30年に食品衛生法が改正され、HACCPが義務化がされた際には、食中毒患者数が約2万人で下げ止まっていることが背景として挙げられています。
「食中毒患者数」を使うことの問題点は何ですか?
保健所が調査し、食中毒と断定されるのはごく一部の患者のため、「食中毒患者数」は食中毒のリスクを過小評価してしまいます。そのような数値を参考にすると、誤った対策を取る恐れがあり危険です。
例として「腸管出血性大腸菌」を見てみましょう。
日本では多くの食中毒菌は検出しても届出義務はありません。
ただし「腸管出血性大腸菌」を検出した場合は感染症法に基づき、患者を診察した医師は保健所に届出しなければいけません。
届出を受けた保健所は、患者の食べた物や行動の調査を行います。
そして最終的に食中毒と断定した場合は、営業停止などの措置をとり、食中毒の詳細は厚生労働省に報告され、食中毒統計資料に計上されます。
それではまず、腸管出血性大腸菌の「感染者数」(医師から保健所に届出があった数)の推移を見てみましょう。
2020年と2021年は新型コロナウイルス感染症の蔓延の時期であり減少しましたが、それ以外は2,500人前後を推移しており、増加も減少もしていないように見えます。
次に、保健所が感染者の調査を行い、食中毒と断定された「食中毒患者数」を見てみましょう。
食中毒患者数は30~800人程度とかなり幅があります。また、上の感染者数の推移と一致していない年がいくつもあります。
最後に、感染者数に対する食中毒患者数の割合を見てみましょう。
割合は高い年で27%程度で、低い年では約2%となっています。
腸管出血性大腸菌感染症の約70%は食品由来と考えられていることから、本来であれば最後のグラフは70%程度を一定で推移していなければいけません。
しかし、上のグラフのように保健所の調査で食中毒と断定される割合はかなり低く、実際の感染者数の傾向を正しく反映していないことが分かります。
これは腸管出血性大腸菌に限った話ではなく、他の食中毒の原因微生物でも同じです。
次にアニサキスの場合を見てみましょう。
アニサキス食中毒患者数の10年間の推移は下のようになっています。
2016年から2017年にかけて2倍、2017年から2018年にかけて2倍と「食中毒患者数」が倍々に増えています。
数字だけ見ると、増加の原因として「アニサキス食中毒対策が失敗した」、「日本人の魚介類の消費量が増えた」、「魚にアニサキスがより多く寄生するような生態系の変化があった」などと考えてしまい、急いで対策を取らなければならないように見えます。
しかし実際は、2017年頃から有名人がアニサキス食中毒になったことがマスコミに大きく取り上げられたことで、アニサキス食中毒に関する消費者や医師の認知度が向上し、今まで保健所に届出されていなかった事例が届出されるようになったことが一因のようです。
そして、実はアニサキス食中毒患者は年間2万人程度いると推測されており、数百人程度の上下に基づいて、アニサキス対策の効果を評価することはあまり意味がありません。
また、アメリカの指標で紹介した「カンピロバクター」の場合も同様で、日本の食中毒患者数は2,000人前後を推移していますが、実際の患者数は700万人程度いると推測されています。
「食中毒患者数」が実態を表していないことはよくわかりました。日本でもアメリカのような実態をより反映した指標はあるのしょうか?
実はアメリカの指標は「アクティブサーベイランス」という方法でデータが収集されており、日本では通常行われていない方法です。
そのため、現在利用できるデータを用いるのであれば、この記事でも紹介した腸管出血性大腸菌の「感染者数」を用いたほうが、より食中毒の実態に近い値になると思います。
おわりに
以上が、「食品安全対策の効果を計る指標」についての紹介でした。
食品安全の状態を計測することは、その国の将来の食品安全対策の方向性を決めることに繋がるため、非常に重要です。
そして、日本の指標である「食中毒患者数」には多くの限界があります。
一方でアメリカの指標も実は完璧ではありません。
それだけ食品安全を計ることは難しいということです。
しかし、あまりに実態とかけ離れた数値を使い続けることは、日本の食品安全にとって不利益となります。
そのため、アメリカなどの指標を参考に、日本においても「食中毒患者数」ではなく、より実態に近い指標を検討し、採用する必要があると思います。
そして、「食中毒患者数」を少しでも実態の数値に近づけるようサーベイランスを強化していく必要があります。
コメント
コメント一覧 (2件)
日本の行政機関が出す文書は、確かにこれでもかというくらい食中毒患者数を使いますよね。自戒の意味を込めて、自分は使わないようにしようと思いました。
日本の厚労省は基本的に受け身なので、目に見える大きな問題が起きない限り「食中毒患者数」を使い続けそうですね。