

ダブルチェックしていたけど、忙しい時間帯にまた「ラベルの貼り間違い」が起きてしまった。次はトリプルチェックにすれば防げるかな。
食品安全の現場では、このような場面は珍しくありません。
事故やミスが発生すると、多くの組織では「何かを追加する」という対策を取ります。
- 追加の教育
- 追加のルール
- 追加の記録様式
- 追加のチェック
- 追加の承認
- 追加の会議
もちろん、これらの対策が必要な場合もあります。



しかし、こうした「追加」を積み重ねた結果、本当に問題は解決しているのでしょうか。
数か月後には同じようなミスが起こり、さらに新しいチェックやルールが追加される――。
このような状況は、食品安全の現場だけでなく、多くの組織で繰り返されています。
私たちは、事故が起きると「もっと注意しよう」「もっと教育しよう」と考えがちです。
しかし、複雑になった仕組みの中で、従業員に常に完璧な注意力を求めることには限界があります。



重要なのは、人に努力を求め続けることではありません。
「安全な行動を簡単にし、危険な行動を難しくする仕組みをつくること」です。
この考え方を紹介しているのが、スタンフォード大学の教授らによる以下の著書です。
The Friction Project: How Smart Leaders Make the Right Things Easier and the Wrong Things Harder
(筆者訳)フリクションプロジェクト:賢いリーダーは、正しい行動をしやすくし、間違った行動をしにくくする


本記事では、この本で紹介されている「摩擦(Friction)」という考え方を食品安全に当てはめながら、「人の注意力に頼る食品安全」から「仕組みで守る食品安全」へのヒントを考えていきます。
Friction(摩擦)とは?
この本では、Friction(摩擦)を、
人が何かをしようとするとき、その行動を難しくしたり、時間をかけたりする原因となるもの
と定義しています。
摩擦には、さまざまなものがあります。
- 手順が複雑
- 書類が多い
- 承認者が多い
- 待ち時間が長い
- 説明が分かりにくい
- 身体的な負担
- 心理的な負担
- 周囲からのプレッシャー
つまり、人の行動に影響を与える「手間」「負担」「迷い」「ストレス」は、すべて摩擦と考えることができます。



それでは、摩擦の少ない組織ほど、良い組織なのでしょうか?



実は、この本の面白いところは、「摩擦はすべてが悪いものではない」と言っている点です。
著者は、摩擦には2種類あると説明しています。
- 悪い摩擦(Bad Friction): 正しい行動を取りにくくする摩擦
- 良い摩擦(Good Friction):危険な行動を起こりにくくする摩擦
つまり目指すべきなのは、 摩擦をゼロにすることではありません。
正しい行動は簡単に。 危険な行動は難しく。
これが『The Friction Project』の中心的な考え方です。
食品安全現場に潜む「悪い摩擦」
食品安全の現場には、知らないうちに多くの「悪い摩擦」が存在しています。
| 悪い摩擦 | 現場で起こること |
|---|---|
| 温度記録の方法が複雑 | 後からまとめて記録する |
| 手順書が100ページある | 必要な情報が見つからない |
| 手洗い場が遠い | 忙しい時に手洗いが省略される |
| クレーム報告書が長い | 報告が後回しになる |
| 承認者が多すぎる | 対応が遅れる |
| 生産量だけで評価される | 確認作業が軽視される |
| ミスを責める文化 | ヒヤリハットが報告されない |



体調不良があっても報告しにくい職場環境・文化も、悪い摩擦ということですね。


例えば、「手洗い」が食品安全にとって重要であることは、誰もが理解しています。



しかし、手洗い場まで往復1分かかる職場ではどうでしょうか。
忙しい時間帯には、「少し後で洗おう」と考えてしまう可能性があります。
もちろん、手洗いを省略することは望ましい行動ではありません。
しかし、この問題を単純に、「従業員の意識が低い」「教育が足りない」と考えるだけでは、根本的な解決にはなりません。
なぜなら、正しい行動を取りにくくしている環境そのものに問題がある可能性があるからです。
食品事故を防ぐ「良い摩擦」
一方で、食品安全では、あえて一手間を加えることで重大な事故を防ぐ場面があります。
これが「良い摩擦」です。
| 良い摩擦 | 防げる事故 |
|---|---|
| バーコード照合 | ラベル貼り間違い |
| アレルゲン変更時の承認 | 表示ミス |
| CCP逸脱時の再確認 | 危険製品の出荷 |
| 製品回収時の複数人判断 | 回収漏れ |
| 「迷ったら止める」ルール | 確認不足 |
| ヒヤリハットを評価する制度 | 同じ事故の再発 |
例えば、アレルゲン表示を変更するとき、「効率化のため確認を省略しよう」という判断は、重大な健康被害につながる可能性があります。
そのため、
- 原材料を確認する
- アレルゲン表示を確認する
- 品質保証担当者が承認する
という一手間を加えます。
この確認には数十秒しかかからないかもしれません。
しかし、その数十秒が、重大な事故を防ぐ「良い摩擦」になります。



私の施設のトイレは、手を洗って消毒をしないとドアが開かない仕組みになっています。これも手洗いをしっかりするための「良い摩擦」なのですね。
問題は「足し算という病」かもしれない
『The Friction Project』では、Addition Sickness(足し算という病)が紹介されています。これは、
問題が起きるたびに、不要なものを減らすのではなく、新しいルールや手順ばかりを追加してしまう組織の習慣
を意味します。
例えば、ラベル貼り間違いが発生したとします。すると、
ラベルミス発生
↓
チェックリスト追加
↓
承認者追加
↓
教育追加
↓
会議追加
↓
さらに記録様式追加
という流れになりがちです。


一つひとつの対策には理由があります。
しかし、それらが積み重なると、
- 現場の負担が増える
- 書類作成に時間を取られる
- 本当に重要な確認がおろそかになる
という、本末転倒な状態になることがあります。
食品安全管理の目的は、書類を完成させることではありません。
安全な食品を消費者に届けることです。
だからこそ、新しい対策を追加する前に、
「この作業は本当に食品安全に役立っているのか?」
と問い直すことが重要です。



確かに「何かを追加すること」は、行動を起こしているという安心感・達成感を与えてくれるので、ついついやってしまいます。
優れたリーダー「Friction Fixer」
『The Friction Project』では、優れたリーダーを Friction Fixer(摩擦を改善する人)と呼んでいます。
Friction Fixerとは、
不要な摩擦を取り除き、本当に必要な摩擦だけを設計する人
です。
事故が起きたとき、多くの組織は、「誰が間違えたのか」を考えます。
一方、Friction Fixerは、
- 正しい行動を難しくしているものは何か。
- 間違った行動が簡単にできてしまう原因は何か。
- 正しい行動はもっと簡単に、間違った行動はもっと起こりにくくするにはどうすればよいか?
という視点から仕組みを見直します。
つまり、
「人を変える」のではなく、「人が行動する環境を変える」
ことを重視します。
ラベルの貼り間違いを「摩擦」の視点で考える
それでは、これらの考え方をラベルの貼り間違いに当てはめてみましょう。
あるスーパーマーケットでは、バックヤードで弁当を製造しています。
ある日、「えび天弁当」に誤って「とり天弁当」の表示ラベルを貼ってしまいました。
その結果、「えび」の表示が欠落し、食物アレルギーのあるお客様に健康被害を及ぼす可能性が生じました。


このような事故が起きると、多くの職場では、
- ダブルチェックにする
- チェックリストを追加する
- 注意喚起文書を配布する
といった対策が取られ、それで完結としてしまうかもしれません。
もちろん、これらの対策が有効な場合もあります。
しかし、Friction Fixerはまず、別の問いを投げかけます。
「なぜ、間違ったラベルを貼ることが簡単だったのだろうか。」
「正しいラベルを貼ることをもっと簡単にし、間違ったラベルを貼ることをもっと難しくするには、どうすればよいだろうか。」
Step1:まず「摩擦」を調べる
最初に調べるのは「どんな仕組みがミスを起こしやすくしていたか」です。
例えば、
- ラベルが似た場所に保管されていなかったか
- 商品の見た目がよく似ていなかったか
- 作業中に電話や質問で何度も中断されなかったか
- ラベルの文字が小さく見づらくなかったか
- 作業時間に強いプレッシャーはなかったか
- バーコード照合の仕組みはあったか
などを確認します。
つまり、「悪い摩擦は何だったのか。」「良い摩擦は不足していなかったのか。」という視点で現場を観察します。


Step2:悪い摩擦を取り除く
原因が分かったら、まず正しい行動を取りやすくします。
例えば、
- 製品ごとに使用するラベルだけを取り出せるよう整理する
- アレルゲン表示を大きく見やすくする
- ラベル貼付手順をシンプルにする
- 不要な記録作業を減らす
- ラベル貼付中は割り込みを減らす
などです。
これらは、「正しい行動を簡単にする改善」です。
ここで忘れてはいけないのが、評価制度や組織文化も摩擦であるという視点です。
例えば、「1時間に何個製造したか」だけで評価される職場では、作業者はスピードを優先し、確認作業を省略してしまうかもしれません。
また、「ミスを報告すると怒られる」という雰囲気がある職場では、ヒヤリハットや小さなミスは報告されにくくなります。
これは設備や手順ではなく、組織が作り出している悪い摩擦です。
そのため、評価項目には例えば、
- ラベル誤貼付ゼロ
- 確認手順の実施率
- ヒヤリハット報告数
- 改善提案件数
などを含めることも考えられます。
つまり、「速さ」だけでなく、「正確さ」や「安全への貢献」も評価する仕組み を作ることが重要です。
さらに、ヒヤリハットやミスの報告を「失敗」ではなく「改善のきっかけ」として受け止める文化を育てることも、食品安全には欠かせません。
Step3:必要な場所にだけ「良い摩擦」を加える
一方で、重大事故を防ぐためには、必要な場所にはあえて摩擦を加えます。
重要なのは、すべての作業を複雑にすることではありません。
事故が起きたときの影響が大きい場面に限定して「良い摩擦」を設計します。
例えば
バーコード照合
製品とラベルのバーコードが一致しなければ印刷・貼付できないようにする。
人の注意力ではなく、仕組みでミスを防ぎます。
1秒間の確認
ラベルを貼る前に、
「この製品は、えびを含みますか?」
という確認画面を表示する。
たった1秒でも、一度立ち止まることでアレルゲン表示への意識を高めることができます。
物理的な分離
えび入り製品用ラベルと、えび不使用製品用ラベルを別々の場所に保管する。
間違ったラベルを「選びにくくする」ことも、良い摩擦です。
Step4:今ある摩擦も見直す
最後に、現在ある摩擦が本当に役立っているか も見直します。
例えば、
- チェックリストが5種類ある
- 3人分の署名が必要
- 毎日確認ミーティングをしている
それでも事故が起きているなら、Friction Fixerは問いかけます。
「この作業は、本当にリスクを減らしているだろうか。」
「それとも、作業者の時間や注意力を奪っているだけではないだろうか。」
価値の低い作業を減らすことは、「手抜き」ではありません。
本当に重要な確認作業へ、人の時間と注意を集中させるための改善です。
おわりに
食品事故が発生すると、私たちはつい、
- 教育を増やす
- チェックリストを増やす
- ダブルチェックにする
という対策を考えがちです。
もちろん、それらが必要な場面もあります。
しかし、本当に重要なのは、人にもっと注意してもらうことではなく、間違えにくい仕組みを設計することです。
『The Friction Project』が教えてくれるのは、
「正しい行動は簡単に。危険な行動は難しく。」
という、とてもシンプルな考え方です。
そして、この「摩擦」は、設備や手順だけではありません。
評価制度や組織文化、心理的安全性も、人の行動を左右する重要な摩擦です。
食品安全文化を高めるとは、「安全を大切に考える人」を育てることだけではなく、安全な行動を自然に選べる仕組みを設計することでもあるのではないでしょうか。



次に職場で改善策を考えるときは、Friction Fixerの視点でぜひ自分自身に問いかけてみてください。
- 私たちは、本当に必要な摩擦を設計しているだろうか。
- それとも、不要な摩擦を増やしているだけではないだろうか。
この問いが、食品安全文化をさらに一歩前へ進めるきっかけになるかもしれません。











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