

食中毒菌の遺伝情報を詳しく調べることで、食中毒の原因や食品の汚染源が分かるようになったと聞きました。それなら、食品企業も積極的にこの技術を活用しているのですか?
欧米の行政機関では、食中毒の原因究明に「全ゲノムシーケンス」(Whole Genome Sequencing:WGS)という技術が活用されています。
WGSは、細菌が持つ遺伝情報をほぼ全体にわたって読み取り、菌同士がどれほど近い関係にあるのかを詳しく比較する技術です。
これにより、従来の検査では見つけることが難しかった食中毒のつながりや、食品の汚染源を調べるための重要な手がかりが得られるようになりました。



WGSについて詳しく知りたい方は、以前の記事「アメリカの食中毒調査の秘密を教えます。」もご覧ください。


一方、食品企業によるWGSの活用は、行政機関と比べるとまだ限定的です。
しかし、食品企業がWGSを活用すれば、汚染原因の特定や再発防止策の検討だけでなく、検査結果の確認や自主回収の判断にも役立つ可能性があります。



自分の施設でサルモネラやリステリアなどの食中毒菌が検出されたとき、重要なのは「菌が検出された」という事実を確認することだけではありません。
そこで今回は、「Whole Genome Sequencing for Food Safety: Opportunities, Benefits and Challenges」という論文をもとに、食品企業がWGSを活用することで得られる3つのメリットと、導入にあたって考えておきたい課題を紹介します。
※Wiedmann, M. and Neumann, M.J. (2026). Food Protection Trends, 46(1), 8–32.
WGSで何が分かるのか?
まず、WGSがどのような技術なのか、簡単に説明します。
従来の検査では、細菌を種類や血清型などによって分類することが一般的でした。



これは、ヒトを国籍や血液型などで分類することに似ています。「日本人」で「O型」のヒトを1つのグループにまとめるイメージです。でも、同じ国籍、血液型の人であっても、DNAを詳しく調べれば、一人ひとりに違いがあります。
細菌も同じです。同じ種類・同じ血清型に分類される細菌であっても、遺伝情報には細かな違いがあります。
WGSでは、細菌が持つ遺伝情報をほぼ全体にわたって読み取ります。つまり、従来の検査では同じグループに分類されていた細菌についても、さらに詳しい違いを調べられるのです。
いわば、細菌一つひとつの「遺伝的な指紋」を調べるようなものです。
例えば、北海道と沖縄で、それぞれサルモネラ食中毒が発生したとします。どちらの患者からも同じ種類、同じ血清型のサルモネラが検出されました。


従来の検査では、これが別々の食中毒なのか、それとも同じ食品が原因の食中毒なのかは分かりません。なぜなら、同じ種類、血清型のサルモネラは、日本の多くの人から検出されるためです。
そこで役立つのがWGSです。
WGSを使えば、患者から検出された菌の遺伝情報を詳しく比較し、両者がどれほど近い関係にあるのかを調べられます。
もし遺伝情報が非常によく似ていれば、同じ汚染源に由来する可能性が考えられます。そして、さらに患者が食べた食品や購入先、食品の流通経路などを詳しく調べ、共通する食品が見つかれば、食中毒の原因を特定するための重要な手がかりになります。
このようにWGSによって、これまでの検査では分からなかった菌同士の関係を詳しく調べることで、食中毒調査の能力が劇的に向上しました。



「菌が検出された」という「点」の情報を、「それらにどのようなつながりがあるのか」という「線」の情報に変えられること。これがWGSの大きな特徴です。


食品企業がWGSを活用する3つのメリット
それでは次に食品企業がWGSを活用すべき3つのメリットを見ていきます。
① 汚染原因を特定し、効果的な再発防止策につなげられる
食品工場で食中毒菌が検出された場合、企業は汚染原因を特定するために、原材料、製造設備、作業者、器具など、さまざまな可能性を調べる必要があります。
WGSを使えば、それぞれの菌の遺伝情報を比較し、互いにどの程度近い関係にあるのかを調べられます。
例えば、製品から検出された菌と、製造設備から過去に検出された菌の遺伝情報が非常によく似ていれば、設備に菌が残り続けている可能性を検討できます。
実際に、青果物の包装・加工施設など16施設を対象とした研究では、7施設で、少なくとも60日以上の間隔を空けて検出されたリステリアの遺伝情報に近い関係が認められました。そのうち2施設では、1年以上の間隔を空けて検出された菌にも近い関係がありました。
こうした情報は、工場内に菌が残り続けている可能性を考えるうえで重要です。
そして、もし特定の設備や排水設備に菌が残っている可能性が高ければ、その場所を重点的に調査し、設備の改修や洗浄方法の変更などを検討できます。


一方、原材料などから繰り返し持ち込まれている可能性があれば、仕入先や原材料の管理を見直す必要があります。
このように、WGSは汚染原因の調査対象を絞り込み、必要な場所に人員や費用を集中させるために役立ちます。



工場全体に一律の対策を繰り返すのではなく、菌が残っている可能性の高い場所や、汚染の原因となっている可能性のある工程を調べ、そこに対策や設備投資を集中させられることは、企業にとって大きなメリットですね。
② 検査室での交差汚染による誤った陽性結果を見分けられる
食品企業にとって、食中毒菌の検査結果が陽性になることは重大な問題です。



しかし、検査結果が陽性であっても、必ずしも食品や工場が実際に汚染されていたとは限らないことがあります。
実は、検査室での作業中に、別の検体や陽性対照などから菌が混入する「交差汚染」が起きる可能性もあるのです。
そして、このような検査室での交差汚染は、企業にとって大きな損失につながります。
それが実際に起きたのが、米国カリフォルニア州の食品企業「Church Brothers Farms社」の青ネギの自主回収です。
同社は、カナダ食品検査庁から、青ネギの検体1件でサルモネラが検出されたとの連絡を受け、2024年10月18日に約1,271ケースの青ネギを自主回収しました。
| 自主回収の発表 | 2024年10月18日 |
| 対象食品 | 青ネギ |
| 回収対象 | 1,271ケース |
| 対象地域 | 米国・カナダ |
| 検出された菌 | サルモネラ |
| 回収取消の発表 | 2024年11月25日 |


Church Brothers Farms社が自主回収を発表した後、カナダ食品検査庁は検出されたサルモネラをWGSで詳しく調べました。
その結果、検出されたサルモネラが、検査室で使用していた「陽性対照菌株」に由来する可能性が浮上しました。
「陽性対照菌株」とは、検査が正しく機能していることを確認するために使用する、あらかじめ目的の細菌であることが分かっている菌株のことです。
例えば、サルモネラを正しく検出できるか確認するために、実際にサルモネラを含む検体を使って検査することがあります。
しかし、この菌が誤って食品の検体に混入してしまうと、実際には食品が汚染されていなくても、検査ではサルモネラ陽性という結果が出てしまいます。
調査を進めた結果、カナダ食品検査庁は検査室で交差汚染が起きていたことを確認しました。
そのため製品自体にはサルモネラが含まれていなかったことが分かり、11月25日に自主回収は取り消されました。



意外かもしれませんが検査室でのミスは起こり得ます。例えば、2013年に欧州のチョコレートでも同様の事例が報告されています。
つまり、WGSは食品の汚染を見つけるだけでなく、検査結果が本当に食品の汚染を示しているのかを確認するためにも役立つのです。
検査結果が陽性になった場合、企業は消費者の安全を最優先に、製品の出荷停止や回収などの対応を迅速に検討しなければなりません。
一方で、検査室での交差汚染が原因であれば、不要な自主回収や製品廃棄によって大きな損失が生じる可能性があります。
WGSは、こうした事態において、検査結果の背景を詳しく調べるための重要な情報を提供します。
③ 自主回収が必要な製品や範囲を判断するための情報が得られる
食中毒菌が検出された場合、企業はどの製品を回収する必要があるのかを判断しなければなりません。
ここでは、仮に、ある食品工場で製造された製品Aからサルモネラが検出された場合を考えてみます。
同じ製造ラインでは、前日や翌日にも製品が製造されており、同じ原材料が複数の製造ロットに使用されていました。



この場合、検出された菌がどのような経路で製品に混入したのかによって、回収が必要となる製品の範囲は変わってきます。
そこで、製品Aから検出された菌と、他の製造ロットや原材料、製造設備から検出された菌の遺伝情報をWGSで比較します。
例えば、製品Aから検出された菌と、特定の製造設備から検出された菌が非常によく似ていれば、その設備を介して複数の製造ロットが汚染された可能性があります。
一方、別の製造ロットから検出された菌の遺伝情報が大きく異なっていれば、同じ汚染事象として扱うべきか、別の原因によるものなのかを改めて調査する手がかりになります。
さらに、製造日時、原材料の使用履歴、設備の洗浄記録などを照合することで、どの製品や製造ロットが汚染に関係している可能性があるのかを、より具体的に検討できます。
このように、WGSは自主回収の範囲を判断するための情報を増やし、回収が必要な製品を見落とさないこと、そして必要以上に回収範囲を広げないことの両方に役立つ可能性があります。
WGSを導入する際に考えておきたい3つの課題
ここまで紹介したように、WGSは食品企業にさまざまなメリットをもたらす可能性があります。一方で、導入にあたってはいくつかの課題もあります。
① 検査費用と専門知識が必要になる
WGSでは、細菌の遺伝情報を読み取るための検査と、そのデータを解析する作業が必要です。
従来の一般的な細菌検査と比べて費用が高くなる場合があり、解析結果を正しく理解するためには専門知識も必要です。
ただし、企業が自社で高価な解析装置を購入したり、専門の担当者を雇用したりする必要があるとは限りません。
実際、2024年に海外の大手食品企業18社を対象に行われた調査では、回答した企業の多くが、遺伝情報の読み取りや解析を外部機関に委託していました。
そのため、まずは検査機関や大学などの外部機関と連携し、必要なときにWGSを利用する方法も考えられます。



最初は、過去に工場内で繰り返し検出されている菌や、製品と製造環境の両方から検出された菌など、汚染原因の調査に役立ちそうなケースから試してみるとよさそうですね。
こうした小さな取り組みから始めることで、自社の食品安全管理にWGSがどのように役立つのかを具体的に理解できるようになります。
② 不利な情報が見つかる可能性がある
WGSは、企業にとって都合のよい情報だけを示すわけではありません。
例えば、過去に工場内で検出された菌と、新たに検出された菌の遺伝情報が非常によく似ていた場合、以前から工場内に菌が残り続けていた可能性が浮かび上がることがあります。
このような情報は、汚染原因を特定して再発防止につなげるうえで重要ですが、企業にとっては、管理上の問題を示す不利な情報になる可能性もあります。
また、WGSのデータを行政機関や第三者と共有した場合、その情報が食中毒調査や行政措置の判断、訴訟などに利用される可能性についても考えておく必要があります。
そのため、WGSを導入する際には、検査機関との契約などを通じて、解析データの所有権や保管方法、第三者への提供条件などを事前に確認しておくことが重要です。
③ 結果の解釈を慎重に行う必要がある
WGSの結果を正しく解釈することも欠かせません。
例えば、製品から検出されたサルモネラと、工場の排水溝から検出されたサルモネラの遺伝情報が非常によく似ていたとします。
この結果だけを見て、「排水溝の菌が製品を汚染した」と断定することはできません。原材料が共通の汚染源だった可能性や、別の経路から同じ系統の菌が持ち込まれた可能性もあるからです。
そこで、原材料の仕入れ記録、製造日や製造ライン、設備の使用状況、洗浄・消毒の記録、他の環境検査結果などを照らし合わせます。
こうした情報を組み合わせることで、菌がどこから持ち込まれたのか、工場内に定着しているのか、それとも繰り返し外部から持ち込まれているのかを、より具体的に検討できます。



WGSは細菌同士の遺伝的な関係を詳しく調べられる技術ですが、汚染の原因や経路をすべて自動的に教えてくれるわけではありません。



遺伝情報と製造現場の記録、必要な検査結果を結び付けて初めて、再発防止に役立つ情報になるのですね。
おわりに
食品企業にとって、食中毒菌の検査は、製品や工場の衛生状態を確認するための重要な手段です。
しかし、検査で菌が検出されたという結果だけでは、「汚染がどこから起きたのか」「以前の検出と関係があるのか」「どのような対策が必要なのか」までは分からないことがあります。
WGSを活用すれば、検出された菌の遺伝情報を詳しく調べ、過去に検出された菌や、原材料、製品、工場環境から検出された菌との関係を知ることができます。
それによって、汚染原因の調査を効率化し、必要な場所に対策や投資を集中させたり、検査室での交差汚染による誤った陽性結果を見分けたり、自主回収の判断に役立てたりすることができます。
もちろん、WGSは従来の細菌検査やHACCPに基づく衛生管理に取って代わるものではありません。日常的な衛生管理によって汚染を防ぐことが最も重要です。
そのうえで、菌が検出されたときに、その菌の遺伝情報を過去の検出結果と比較できるようにしておけば、自社の食品安全管理をさらに高めることができます。



「菌が検出された」という結果を確認して終わるのか。それとも、その菌がどこから来て、過去の検出とどのようにつながっているのかまで調べるのか。WGSは、食品企業がこの一歩先の調査に取り組むための、有力な選択肢になっています。









コメント
コメント一覧 (1件)
[…] コスト、時間、技術のハードルがありますが、食品会社でもWGSの利用は始まっています。 […]